Setsu. 1992-1995

1992年の秋から1995年の暮れまでの、長沢節先生の言葉を中心としたセツ・モード・セミナーの点景集 。 copyright (C) GRINO.

dessin de gros

画面におさまりやすい、ってことなんだけどね。画面を構成するのに構図がとりやすいんだよ、ふくよかな方が。四角に対して。だからマチスでも誰でも太った女の人を描いているでしょう。セツ先生のデッサンは画面の構図は関係ないから。彫刻だからね、アレは。

------------------- ある先生

nude de homme

culture

さらされた人間の裸体はそのままでは美しくもなく、セクシーなものではない。そのセクシーでないものをどれだけセクシーにするか、というトコロに人類は努力をし、楽しんできたのが文化なのだ、という論旨はよく聞くものです。ただ隠せばセクシーになるわけでもなく、露出すればイイというわけでももちろんないし。付けるものは服飾だけでなく、物語であったり。

裸体デッサンは「セクシー」からはいちばん遠いものかもしれません。

b.b.

古い映画雑誌に古今東西の有名女優について日本の著名人がコラムを寄せているものがあったのですが、ブリジット・バルドーについてはセツ先生が文章を書いていました。まず、「あまり好きではないのだが…」といった感じではじまった文章は、「この、どこにでもいるような女の子に価値をつけ、世界のスターに育てあげた、いかにもフランスの男達らしい努力や手間ひまに感服する」といった趣旨のものでした。

talons hauts

sexuel

女が一糸まとわぬ全裸くらいセクシーでないものはないからで、それは、毎日のように全裸のモデルと向き合い、それを描いている私がいちばんよく知っている。

------------------- 「あいまいな色が好き」より

dufy

デュフィなんてボクはうまいと思うのに、セツ先生はキライなんだよ。なんだ、あの太ったおばちゃん!なんてね。セツ先生は痩せたモデルしか描かないから。

---------------- ある先生。

personne routinière

素晴らしいプロポーションの方でしたが、休憩中も、ガウンなどまとわずに裸のまま友達と笑いながら話している姿はあっけらかんとしていて、セクシーさというよりなにより(非常にセクシーな方なのですが)、カッコイイ!姿でした。

modèle

裸体デッサンは2〜3週間に1ぺんくらい。女性だけでなく、男性のモデルも描きます。立ちポーズと寝ポーズを交互に。コスチュームのモデルさんは、生徒の中から素敵な“線”のヒトを先生がスカウトすることが多いのですが、裸体のモデルさんは、さすがに生徒からはほとんどいませんでした。いや、お一人。当時、アフロヘアで、ものすごくカッコイイ方がモデルをされていました。

repos un peu

setsu de l'été

セツには、夏のイメージはあまりないかもしれません。いつもやわらかい光が満ちていて、強烈な光の印象が残っていないのは7月21日から8月いっぱいの長い夏休みがあるせいでもあります。セツ先生は毎年この間に南仏とかにバカンスに出かけます。帰ってくると新学期ですが、夏の間、先生が向こうで描いてきた新作のタブローがロビーに飾られていました。

幾日か、暑い日があったな〜、というくらい。そういえば、暑い日はアイスコーヒーがセツ・カフェでも出た記憶がかすかにあります。フランスでは、アイスコーヒーはないんですよね。150円くらいで、出てた記憶があるんですが…。

ふだんはエアコンをかけずに、窓を開けていた教室も、裸体デッサンの日は閉めていました。