Setsu. 1992-1995

1992年の秋から1995年の暮れまでの、長沢節先生の言葉を中心としたセツ・モード・セミナーの点景集 。 copyright (C) GRINO.

conférence spéciale

セツ卒で活躍されている先輩方が、特別講義を開いて下さる機会が何度かありました。現在も大活躍されている、ある雑誌の看板を背負っていたイラストレーターの大先生が特別講義を開いてくださった時に、セツ先生に「この子はネ、ものすごく絵が上手かったのにマンガ家になっちゃって、プーッ!セツにいた頃はホントにいい絵を描いていたのよ」と紹介され、「先生からするとマンガ家なのね…(笑)」と苦笑されていましたが、その時に一人の女の子が質問をしました。

「今、もしもお時間があったら、好きなようにタブローを描いてみたいとは思ったりすることはありませんか?」

「今は仕事をするということが楽しいので、今は、ないですね」

「ありがとうございました」


……そんなやりとりがあったのを憶えています。

réalité

セツ卒で「画家」になった人はいないから


-------------- イラストレーターのある先生。特別講義にて。

絵を描くことが好き、絵を描くことが必要。いろんな人々がいました。大きなタブローを制作することに集中する人、イラストのスタイルを確立して売り込みにまわる人。

オリーブ少女さんたちのあこがれは、上田三根子先生、メグホソキ先生、森本美由紀先生ら、第一線で活躍されているセツ卒の先輩達。出版社をまわって持ち込みをして、最初は絵地図や化粧品の使い方などの小さなカットのお仕事。小さな小さなカットがひとつかふたつでも、印刷されるまでの道のりは険しいものです。

最近のファッション雑誌では、もうイラストは使われなくて写真ばかりだけれど、昔はロートレックも顔負けの凄くうまいファッションイラストレーションがたくさんあったのよ、というセツ先生のいつもの話。

今はいくらうまいイラストでも、もう雑誌には使われないけれど、それは雑誌のエディターのせいではなくて、大衆がそう求めているものだから、ということ。

今のイラストは「へたウマ」が出てきたから、どんなものが受けるかはわからないけれど、要は、大衆にどう支持されるか、ということなんだよ。それは絵がうまい、ということとは別のテクニックが必要です。だからイラストレーションの世界、というのもわりと面白いよ!

l'indépendance

イラストレーター志望のオリーブ少女さんたちの第一目標は「オリーブ」や「アンアン」などでイラストを使ってもらって、そこから「イラストレーター」という職業で自立していくことだったようです。

バブルは終わったけれども、デジタル社会がやってくる前の数年間の「猶予期間」のようなグランジでオルタナティブな時代です。

 “やりたいこと・好きなことを仕事にしている輝いている自分”になる為に、というような「オリーブ」の記事にセツが紹介されたりしてました。

avant l'âge numérique

1993年当時というのは、ほとんどの出版社ではまだDTPが導入される以前でした。「Windows '95」の前ですからね。Macを使っているらしい「Studio Voice」の紙面が新鮮で、かっこよく感じた頃です。60年代からはじまった写植印刷の雑誌文化の最後の時期でした。デジタル写真の情報を詰め込めるだけ詰め込む紙面作りではなく、まだまだのんびり切り貼りしていた時代です。イラストの持ち込みなども、60年代式に行われていました。携帯もインターネットも無い時代です。

promotion de la chute

セツに入学して1年がたちました。
秋休みがあけると3級になります。といっても、授業自体は2級からは同じです。デッサン、デッサン、月に数度のタブロー、合評。コーヒー、コーヒー、おしゃべり、恋愛(?)。

3級以上になると、グループ展などをやる人々も出てきます。数人で会場を借りて、はがきのDMを作って。今まで描いたB全や半切りのタブローを飾ったり、小さなイラストを並べたり。銀座の画廊、表参道・同潤会アパートの小さなギャラリー、中野ZEROなどの公民館的なスペース。

顔見知りの人のを見に行ったり、受付を手伝ったり。