Setsu. 1992-1995

1992年の秋から1995年の暮れまでの、長沢節先生の言葉を中心としたセツ・モード・セミナーの点景集 。 copyright (C) GRINO.

blanc

白を混ぜるのよ。

透明水彩絵具なんだけど、透明にはつかわないの。

Palette

composition de couleur

人物をどう入れると、この、人物が描かれていない画面がどういうふうに区切られるか、ということなのよ。

絵画は、色の構図です。

composition par la ligne

Japon

石膏デッサンが絵画の基本、なんて大昔の話でしょ。日本の浮世絵がヨーロッパに影響を与えて、印象派が絵画の歴史を変えたのに、なぜその前の西洋画のやり方を日本はありがたがるのかね。石膏デッサンなんていらないと思うのに、やっぱり絵の学校としては授業を設けておくんだけど。それよりも、10分のクロッキーだけじゃなくて、ひとつのポーズをじっくりと時間をかけて、そこから線をさがす訓練なんかしたら、いいと思うんだ。

------------------- ある先生

revue commune

matisse

「マチスなんか、先生のいうようにいかにも色の構図でしかなく、立体を無視した色面の構成だけど、でもやっぱりデッサンがスゴくうまいでしょう?」

「ふと思うんだけど、マチスがもし、もっとデッサンが下手だったら、あの色のキレイさはもっともっと不思議さを増したんじゃないか?と。なまじデッサンで自由さを規制してるところがあって、構図が理屈っぽく窮屈という絵もないことはないよ」

---------------- 「長沢節と風景たち」より

couleuriste

tonalité-surdité de couleur

デッサンはね、絵じゃないのよ。コレは紙でやる彫刻。

絵はね、デッサンは関係ないの。デッサンがうまい人ほど、絵はヘタね。

色オンチ。

オレがそうだったから。

セツをはじめたばかりの頃、こんな不良のネエちゃんがものすごいしゃれた絵を描いたの。デッサンなんか、ホント下手くそなのよ。オレ、もうくやしくてくやしくて崖からとびおりて死んでやろうかと思ったくらいよ。プーッ!

gouhyou

tableau

セツ・モードセミナーでは、絵画(タブロー)とデッサンを“べつもの”として教えていました。

セツで「デッサン」というのは、物の陰影や立体感を表現する、いわゆる「石膏デッサン」のことではなくて線画(ドローイング)による「人物クロッキー」のことを指します。

「石膏デッサン」と「人物クロッキー」は、セツ・モードセミナーの案内書によれば「機械的な目」と「人間の生きた眼」のちがい、というようにまったく別の表現方法なのですが、その両方の「デッサン」はまた、平面芸術である「絵画」とはまったくのべつものである、という教え方でした。

「絵画の基礎はデッサンである」、というのが世間的な常識だと思うのですが、セツでは、絵画は“色の構図”による平面芸術であり、立体表現であるデッサンとは2次元と3次元のちがいがあるので、分けてそれぞれを勉強しなければならない、ということでした。

平面を構成する線で描く「デッサン」というのもあるのですが、その線画で構成された画面に色を塗っていっても、色の違いによって画面のバランスは崩れるので、色のある世界と無い世界の違い、ということでもあります。

ce sofa

composition

センセ、群像デッサンの時は、体の線とか、ムーヴマンとかは追わないんですか?

そう、群像デッサンは絵と同じで構図を描くんだから、オレは人間の形なんか今日は描いていないよ。