Les Enfants
山手側の、サン・ミシェル教会への坂道の途中。
この路からはあちこちに奇妙な路地が伸びています。円形をしていないトンネル、ゆるやかな坂道を下ったつもりが山手に出ていて?そんな路地で時折子供たちに遭遇します。絵を描いていると「ムッシュー、ムッシュー、セ・ボン!」ととびきりの笑顔で親指を立てて走っていった子もいました。ここはバカンスの土地ですが、たぶんそんな子たちは地元の子なんだろうな、という感じでした。こんな土地で育つ人生なんて…あるところにはあるものです。でも仕事を探すのは大変かもしれません。
Welcome Hotel
宿泊したのは、セツ先生の常宿のホテル・ウェルカム。ジャン・コクトーが装飾した小さな礼拝堂が海際のお向かいにあります。右手の広場にはコクトーの壁絵のあるレストランがあり、ホテルで使うお皿はコクトーがデザインしたもの。ジャン・コクトーの縄張りでもあります。しかし今日、一階のレストランに掛かっている絵はセツ先生がここで描いた絵です。
セツ先生、さりげなく自分の絵と合うように服をコーディネイトしてきました。
Villefranche-sur-Mer
いよいよヴィルフランシュへ!
もうここはセツ先生の縄張りです。ヨーロッパ風のごついパンのハンバーガー屋のおじさんが私たちを見るなり、帽子と眼鏡を手振りで示して「プロフェッサー・セツ!」。大原の漁師のおじさんみたいな笑顔で、私たちを迎えてくれました。プロフェッサーかあ。
CASSIS
カマルグを出発して、ヴィルフランシュへ。途中でCASSIS(カシ)の町に寄りました。港町です。紅い「カシス・シャーベット」の語源の町だそうです。レストランで食事をしていたら、ギターを持った流しのおじさんが来てなんやかや歌いました。
セツ先生は脇の下で手のひらをひらひらさせるポーズ。
なんだろう?と思ってましたが、ずっとあとになってそれが昭和初期に流行したお気取りポーズだと知りました。
馬の糞の香りのするホテルのディナーのデザートは、チョコレートのムースが、シンプルな平皿の上にシンプルにてんこ盛りされているものでした。
皆、一目見たとたんに「これは、くるな」と覚悟をしましたが、すぐにセツ先生のうれしそうな声がレストラン中に響きました。
わー、これ、馬のうんこみたーい。きゅーっ、おいしそーう!
Gypsy
近くの海岸でジプシー(ロマの人々)のお祭りをやっている、と聞きましたが「あぶないから近づかないように」とのガイドさんの言葉もあったし、当時は興味もありませんでした。しかしのちにそれがジプシーの有名な「黒いマリア」の祭だと知って、見とけばよかったと思います。もっとも、観光客が中にはいるのはやはり難しいようです。
サント・マリー・ド・ラ・メールは「海からきたマリア」という意味の土地で、聖母マリアの妹のマリア(同名姉妹?)たちが迫害にあって船で逃れ流れ着いたのが由来とされています。しかしこの地の人々が信仰している「黒いマリア」像はインド地方からやってきた流浪の民であるジプシーの人々が信仰していた古いインドの神様をマリア様に託したかたちだと言われています。
写真でしか知りませんが、ジプシーの人々の顔に惹かれます。30歳以上生きられるジプシーは少ない、とその写真の記事にありました。
Stes-Maries-de-la-Mer
『カマルグの白い馬』っていう映画知ってるか?だれも知らないの…これ知ってるのは、オレと星先生くらいかもね。
と、出発する前の旅行の説明会でカマルグ地方サント・マリー・ド・ラ・メールについて語るセツ先生でしたが、サント・マリー・ド・ラ・メールは湿地帯の草原と田んぼで、まったく絵になる場所はありませんでした。なるほど白馬がたくさんホテルの庭でも飼われていて、馬の糞の匂いが浜風に乗ってただよってきていました。
Pont du Gard
オランジュを出発して、大昔の水道橋のポン・デュ・ガールを観光。
高さは50メートル近く。「あのてっぺんからオシッコしたいねぇー」なんて言っていたセツ先生だけど、橋の上に引き上げようとしたら「わーっ、やめろー!」って逃げて行ってしまいました。この当時はまだ橋の上を歩けるようになっていたのですが、現在では立ち入り禁止になっているとのことです。だれかオシッコしたのかな。
Orange
オランジュに到着。しかし、ホテル周りの風景が絵になるところがないので、セツ先生はがっかり。
結局、バスを出してもらって近くの村まで描きに行くことになりました。セツ先生は喜び、ガイドさんは疲れ、生徒たちは歩きまわり、町の人はびっくり。立ち並ぶ建物などはシックで絵になる場所でした。車もけっこう走っていて近代的な部分もちゃんとある町なのだけれど、少し奥にはいると樹が多くて石畳の奇麗な落ちついた雰囲気です。古い教会を中心とした生活はきっと長い間変わらなくやってきたのだろうな、と思わせられました。教会の近くのパン屋さんのショーウィンドーに並ぶ小さなケーキがほんとうに美味しそうだった。
スリやかっぱらいが多くて怖い怖いと言われていたマルセイユだったけれど、街のあちこちでイーゼルを立てて絵を描いていた生徒たちで、被害にあった人はひとりもいなかったみたいです。なかった…どころか。ある女の子は黒人の強面のお兄さんたちに囲まれて……「すばらしい絵だ!」と10フランポケットにねじこまれたんだそうです。大道芸?
Marseille
バスの窓からはじめて見たヨーロッパの街は…「映画みたい!」。道ゆく人々がみんなカッコよく見えます。おのぼりさん心がピークに高揚したおかげでその日に描いた一枚目はセツ先生にも「イイのが描けたじゃない!」とホメられました。
観光案内にはまったく興味をしめさずに、構図はどこだ?色はどこだ?あそこ絵にならない?あっ羊がいる〜!かわいい〜、でも美味しそう〜!とはしゃぐ小汚い集団にバスガイドさんも半笑い。まずは、南仏の港街マルセイユへ。
たとえ外国に写生に行ったとしても、わざわざ遠い外国まできたんだからと、ケチな根性を起こし、外国のどこそこの風景だとひと目でわかるような絵を描いてくることはない。それならなにも苦労して重い絵の道具など持っていくよりは、小さなカメラでも持って行った方がどんなに気が効いているかしれないだろう。
セツの生徒たちもツアーを組んでよく外国へ写生に出かけるが、このことだけは口が酸っぱくなるほどいって聞かせるのである。帰って作品を見てみると、かなりこれが生徒たちに効いているらしく、有名なノートルダムやサクレクールなどを描いている者はほどんどなく、ホテルの窓のゼラニウムだったり、ただベランダと海と空だったりすることが多い。それならなにもパリまで出かけなくても、日本でいくらでも描けそうなものだが……と人はいくかもしれないのだが、果たしてそうだろうか?
確かにゼラニウムはいくらでも日本にだって咲いているだろう。しかし、パリに行ったなら、日本では見向きもしなかった一本の花や木でも話しかけてみたくなろうというもの。一人の人間がそこにいて、新たな気持ちで自然に語りかけてみる。そこではじめて会話として写生が成り立ったのである。ここが大事なのだ!
---------------- 「わたしの水彩」より
Provence
折しも「南仏プロヴァンスの12か月 」という本がベストセラーになったというバブルのなごりの最後の泡が消える年でもありまして、50人ほどの貧乏なのか小金持ちなのかわからないセツの生徒達が、おしゃれな妖怪に連れられて絵の具で汚れた大きな荷物や画板をガラガラと引きながら南仏プロヴァンスへ出かけたのでした。