Setsu. 1992-1995

1992年の秋から1995年の暮れまでの、長沢節先生の言葉を中心としたセツ・モード・セミナーの点景集 。 copyright (C) GRINO.

Posthumous exposition

一年後、初川先生の遺作展がセツのロビーで催されました。
その年も、中庭のバラは満開でした。

今年も、あの中庭のバラは咲いたのでしょうか。

ある先生が、「人の寿命ってのは…決まっているものなのかもしれないね」とおっしゃっていたことが思い返されます。

Fille de génie

ロビーに飾られた初川先生のタブローに息を飲んだこと

生まれてはじめて描いたタブローを、初川先生にほめられて「A」をもらったこと

ゆっくりと特徴のある喋り方、初川先生ノ時間。

亡くなる数日前の、中庭のバラが咲いた天気の良い日に、先生と息の合っていた生徒の女の子と写真を撮ってあげたこと

いつも眠そうに細めている目を、まぶしそうにもひとつ細めていたその写真

あまりお話をしたことはなかったのに、亡くなられる前日に今回のヨーロッパ旅行について長くお話したこと。「ホテル・サラセーナに行ったの!? わたし、もういちどあそこには行ってみたかったの!」と、ふだんはおっとり話されている先生の声がはずんでいたこと。

La fille de rose

初川良先生

シックでかわいらしい姿で、女の子たちに人気だったこと 
デッサンをしながら眠ってしまう姿を時々見ていたこと
教室へ上がる階段をゆっくりゆっくり上られていたこと

1994

わたしたちが陽光の中を呑気に旅行している間も世界は変わっていってました。

旅行の出発直前にカート・コバーンが亡くなり、イタリアに入ったその日にイタリア・グランプリでのアイルトン・セナの事故をホテルのテレビで見て驚きました。そのほかにも世界的に一時代を築いた方々がこの期間に亡くなりました。名古屋空港で航空機事故があり数百人の犠牲者が出たことをヴィルフランシュで知り、帰りの飛行機が無事に着いた時、セツ先生が「無事についたねー!」と皆の気持ちを代弁したことをおぼえています。北野武さんのバイク事故があったのもこの年の夏でした。

そして、旅行から帰って新学期がはじまったばかりのわたしたちにも突然のお別れがありました。

Rose dans la cour