Setsu. 1992-1995

1992年の秋から1995年の暮れまでの、長沢節先生の言葉を中心としたセツ・モード・セミナーの点景集 。 copyright (C) GRINO.

「ギルバート・グレイプ」でレオナルド・ディカプリオを観た時は大興奮でしたが、少し後に実物を目にする機会があったらしく「ただのアメリカの兄ちゃんでガッカリしちゃった…本でホメたの訂正しようとしたけど印刷された後だったのヨ!」とおっしゃってました。どうやら、ちょうどその頃ディカプリオはふっくらしていたらしい。

その後「レオ様」(これも古いね)になったディカプリオを見たらどんな事をおっしゃったのでしょうか……。

Dix Meilleurs Cinema

文芸春秋社が1980年代の終わりに「「大アンケートによる洋画ベスト150」という本を作りました。その時に行われた、著名人のアンケートにセツ先生も参加しています。それによると、この頃のセツ先生のベスト・テンは

長沢節(画家)

暗殺の森
地獄に堕ちた勇者ども
1900年
禁じられた遊び
ルナ
愛の嵐
灰とダイヤモンド
マイ・ビューティフル・ランドレット
田舎の日曜日
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ


男優 ダニエル・デイ・ルイス
女優 マレーネ・ディートリッヒ
監督 ベルナルド・ベルトリッチ

となっています。

Bix

『長沢節と風景たち』という本の中に「私は今、プピ・アヴァティに首ったけ」という文章があります。プピ・アヴァティはイタリア生まれの寡作な映画監督で、映画を撮る前はジャズのクラリネット奏者だったのだそうですが、その代表作の「ジャズ・ミー・ブルース」に関して書かれたセツ先生の文章がいつも心にひっかかっていました。最近、「池袋モンパルナス」という本を読んだら、その中に戦前のセツ先生の青春時代が出てきてまたそのひっかかる感じを思い出しています。

しかし孤独な彼を支えたのはジャズ仲間たちだった。これが同じ芸術家でも画家仲間とはいちばん違う点だろう。画家同士ならどんなに仲が良さそうでも、お互いには常に永遠に敵なのである。

ところがジャズ演奏で音の響き合う仲間同士というのは、たぶん性のエクスタシーにも似た快感だろう……それは恐らく同性愛みたいなものか。楽譜をわざと外して即興(アドリブ)をしたときの仲間のあの眼が優しいのは驚異だった。


「ジャズ・ミー・ブルース」はジャズ・エイジと呼ばれる1920年代に活躍した天才コルネット奏者ビックス・バイダーベックを描いたもの。とても美しく、哀しく、すてきな映画です。

そのダニ・デイが「ラスト・オブ・モヒカン」でややマッチョに役づくりした姿で登場した時、セツ先生はおかんむりでした。

Daniel Day-Lewis

いわく「ダニエル・デイ・ルイスみたい!」「ダニエル・デイ・ルイスよりキレイな足なのよ!」など、セツ先生の美男子の基準はダニエル・デイ・ルイスでした。ダニ・デイは当時「マイ・ビューティフル・ランドレット」「眺めのいい部屋」「存在の耐えられない軽さ」「エイジ・オブ・イノセンス」などで、その上品な物腰とマスク(と細長い指)をスクリーンで披露していました。

David Thewlis

まさか世の中にダニエル・デイ・ルイスよりもきれいな指の持ち主なんか、いるはずがないと思ってたら、簡単にはずされてしまった。こんなことならいくらはずされたっていいのだが、それはやはりイギリスの若い俳優で今度『ネイキッド』というマイク・リー監督のすごいドラマに主演した人……

--------------- 「美少年映画セミナー」より

ロビーにあるセツの掲示板には、その月の ”セツ・シネマ・セミナー” が貼り出されていて、そこにある点数を見ながらおしゃべりしていたものです。

えっそんなにイイ映画?と思うものに高い点数がついていることが時々ありましたが、たいていそういう時は脇役か誰かに、細くて長い骨格の、シャープな線の手先指先くるぶしなどを持った俳優さんが出てたりしてました。




オリーブ少女さんたちをはじめ、セツの生徒も映画好きでした。コーヒーを飲みながら吹き抜けのロビーで映画の話をよくしました。この頃はジム・ジャームッシュや「ベティ・ブルー」のジャン・ジャック・ベネックス、「ポン・ヌフの恋人」のレオス・カラックス、「トラスト・ミー」のハル・ハートリーなどの監督作品が人気でした。

Cinema

セツ先生は映画好きでした。

出版された【美少年映画セミナー】は雑誌「装苑」の連載 ”セツ・シネマ・セミナー” をまとめたものです。映画に関する本では、それ以前に出版されていた【セツの100本立映画館】という本があります。