Setsu. 1992-1995

1992年の秋から1995年の暮れまでの、長沢節先生の言葉を中心としたセツ・モード・セミナーの点景集 。 copyright (C) GRINO.

Ce bon!

さて、帰りの飛行機ではセツ先生の隣の席でした。

足を伸ばして前の席の背に乗せ、いたずらっ子のような笑顔でその足に帽子をかむらせてから眠ったセツ先生。今で言えばエコノミー症候群の予防法ですね。旅慣れた様子で夜を過ごされたようでした。

朝、目を覚まして隣を見るとセツ先生が朝日新聞の日曜版をにこにこしながら見ています。何の記事を読んでいるのかな、と覗くと…みつはしちかこ先生の「ハーイ、あっこです」を熱心に読んでいました。読み終えてこちらを向いて。

「あー、おもしろかった!」と一言。

向こう隣の卒業生の方と見合わせてお互い「えっ…?」
しかしすぐにその疑問は氷解しました。

「オレ、この男のひと、だーい好き!」

と言って…のっぽでスマートでやさしげな旦那の…たしかに、先生の好みではあるキャラクターを指さす先生でした。

Manga et Dessin

セツ先生は“マンガ”嫌いで有名でした。特に劇画が嫌いだったようです。

崩れたデッサンが下品!とよくおっしゃっていました。

石膏デッサンは見たままを機械的に描けって言ってるのにまつ毛を描く!バカみたい!と言う事もありました。「まつ毛と目キラキラ」を敵視していたように思われます。少女マンガもお嫌いだったかもしれません。しかし、若かりし頃のセツ先生は、「まつ毛と目キラキラ」のご本尊・中原淳一先生にお世話になっており、かの先生を大変尊敬されていたようなので微妙なラインがあるのかもしれません。

Son Atelier

ポン・デュ・ガール(芸術橋)のたもとで。

オマエ!ここがオレのアトリエよ!
オレはここで傑作を描いたんだ、おぼえておいてくれ。

Pont Neuf

さて、ポンヌフの上でセツ先生から問題

小腹が空いた、とセツ先生。「ホテルのテーブルからガメてきた青リンゴがいくつかありますよ」、と言うとオマエ、やるネ!とホメられました。早速ナイフでリンゴを五等分したセツ先生、ほら見てごらん、フランスのリンゴは皮ごと食べられるから、こうして種まわりの芯を爪ではじくだけであとは全部食べられるんだヨ!この芯のトコロにいちばん蜜があっておいしいからネ。

でもオマエ、どうやったらこうして種のところに合わせて切ることができる?なーぜだ!


答は、リンゴの花は花弁が五つ。だからリンゴのおしりの星形をそれぞれの頂点からナイフを入れれば種にあたるというワケ。

むかし、新聞で見たのヨ。

Africain drum

美術館めぐりのほかには、正装してオペラ座に観劇に出かけた十代の生徒二人、アフリカの太鼓(ジンベ・ドラム)のストリートミュージシャンとセッションをはじめた女の子、いろいろです。当時はアフリカ方面からの移民が盛んな頃でした。今世紀になってからはアラブ方面からの移民が盛んでいろいろな問題を含んでいるようですがどうなのでしょうか。フライドチキンを買いに裏通りの店に入ったらまさに「どこかの部族の若頭」というような威厳のある生々しい黒人のお兄さんが売り子をしていて威圧されたことを憶えています。日本の基地の街などで見かけたアメリカ人とはちがっていました。

Paris Museum

パリではみなさんタブロー制作はせずに、思い思いに街へ散っていきました。のみの市に行ってみたり、美術館をまわったり。美術館で驚いたのは、絵を、絵を描く距離で見れる、ということでした。こりゃかなわん、と思いました。50数億円出して買ったゴッホの絵を、水族館のような水槽ごしにホームベースからピッチャーマウンドくらいの距離でしか観られないどこぞの「美術館」とはえらい違いでした。ルーブルの「モナリザ」は遠くて人がたかっていて、観れませんでしたが。

アートとの距離が近い、のではなくて、オランジュリーのモネの部屋でくつろぐアベックたちのようにアートの中で生活しているという違いにびっくりしました。

A Paris

そして、パリへ。
どんよりとした小雨の中で観たパリは骨の街に見えました。次の日は晴れ、5月のおパリ。マロニエの花咲く甘い甘い空気のむせる光踊るパリです(マジで)。いろんな人がいて、いろんな地区があります。観光客(わたしたちも)も新婚さんの日本人も、東洋人を不快そうに見る白人女性も、陽気に商売にはげむアラブ人のコックも、伏せ目がちにゴミを集める黒人の清掃業者も、くわえタバコに大股で髪をなびかせ信号無視をする美人も、笑顔がひとなつこい若いギャルソンさんも。公園の芝生で寝そべるホモのアベックも。

Espresso

プロチーダ島は漁業の町でした。ここで本物のエスプレッソを知りました。あれは、漁師さんたちの朝の眠気覚ましなんですね。港へ降りる坂道に何軒か小さなお店があります。古くてごつい木のテーブルに小さな椅子がすすけて並んでいる、石造りの食堂へまだ夜の明けないうちに大きな体の漁師さんたちが入ってきます。皿に乗せてあるチョコレートを口に放り込んでから、小さな小さなカップの濃いエスプレッソをぐいっと飲んで漁に出かけます。何世代も培われてきた朝の儀式でしょうか。海の男たちは皆さんみごとな乱杭歯です。

そんなわけで食事はいつもイカリング。他のは無いのかと問えばアジのフライだけでした。

MICRO TAXI

MICRO TAXIといっていた小さな三輪タクシーに積み込まれてホテルへ。イタリアの運転手は「待たない、止まらない、譲らない」ギャンギャンガタガタペレンペレン突っ込んでいく。スリルでした。

Procida

セツの旅行をいつもプロデュースしてくれるトラベル・ヴィジョンという会社の方が、「これから開発したいところなんだけどイチオシ!」と当時おっしゃっていたプロチーダ島も、現在では写生旅行のツアーが各旅行会社で組まれるなど人気の場所になりました。先見の明、ですね。最近知ったのですが、「イル・ポスティーノ」という1994年の公開(日本では1996年)の映画がこの島を舞台に撮影されているとのことです。まだ観ていませんが、人気になったのはこの映画の影響もあるようです。

セツ先生も港にならんだピンクや紫の南イタリアの家々を見て

このキッチュさ!


と大喜びでした。

Rome

ローマのレストランで昼食をとっている時にセツ先生がぬか漬けの作り方を教えてくれました。コツは、とにかく雑菌を入れないこと、だそうです。

古釘をいれるだとか、よけいなことをしたらダメよ。雑菌をいれないこと。ゴム手袋をそのつどするくらいじゃないと。


ローマは昼食の間だけでしたがあまりいい印象がありません。レストランの方々が疲れてイヤそうに働いていたせいかもしれません。都会はどこへいっても同じなのかな、という偏見が深まったくらいです。のちの、プロチーダ島でのレストランの給仕さんたちが連日、派手に失敗して皿を割りながらも顔を見合わせて笑い合っていた印象が強いせいかもしれません。こちらがうれしくなってしまうくらい思いっきりコケて皿を割っても笑顔でした。もしかしたらこの旅行で一番印象的だった出来事かもしれません。サービス?だったのかな。

でもローマも生活してみれば都なのかもしれません。世界の中心的な歴史のある街ですから、好きになるのにも一日ではならず、なのでしょうか。

Le méditerranéen

ホテルは崖に張り付いた、というか崖を削ってできたお城、というような造りですので何階建てなのかはよくわからない造りなのですが、とにかく絶景です。海辺まで降りてホテル側を見上げても絶景(その降りる路にも中世っぽい鎧やら彫刻やらが蔦に絡んで置かれていて雰囲気を出してます)ですし、上の広い広いバルコンから地中海を眺める景色も素敵です。

そのバルコンで絵を描いたり、軽食をとりながらだべったりしてました。右手の蔦の絡まるあずまやでセツ先生が絵を描いています。うとうととしていたら、先生の声がしました。「虹だよー!虹!」。なんとなく日本のものより濃い色合いの虹が出ていました。水平線はいつも溶けるようにかすんでいます。

ロビーで小汚い我々が「すごいホテルだねー」とくつろいでいると、ショーン・コネリーみたいな堂々とした方が(マネージャーさんなのか給仕さんなのかわからなかったのですが)にっこりと「カフェ?」と聞いてこられたのでうなづくと、厨房からじつに堂々とした足取りで人数分のコーヒーを持って来て、渋い大人の笑顔でゆったりと注いでくれました。時々、バルコンなどに見える他のお客様方はどうも皆リタイヤされた上流階級の方々ばかりです。本来はそういうホテルなのです。えらいこっちゃ、でした。

Costa d'Amalfi

海辺の崖路を延々とバスで移動。地中海の水平線がゆらゆらしてきた頃、ようやくアマルフィに到着。セツ先生の絵で何度か聞かされた場所です。

さて、ここの宿泊施設はホテル・サラセーナ。切り立った崖に建つ中世様式の5ツ星ホテルです。

海底から引き上げられたおどろおどろしい調度品がところ狭しと置かれています。日が暮れるまでバスに揺られたへろへろのわたしたちの印象は…お化け屋敷? 

Positano

ポジターノは小さな小さな港町です。崖に張り付くように小じゃれたヨーロッパ調のオレンジ色の屋根が並ぶ素敵な町です。海辺まで細い細い坂道が縦横に紡がれていて、同じ港町でもフランスとはやはり少しちがう、イタリアの明るい感じがします。伊豆とかで真似している町があったと思いますがやっぱりほんもののヨーロッパ調なので板についています。板というより石ですね。石畳や石造りの家や教会入り口の磨かれた床石の歴史と、そこに何世代も暮らしてきた人々の笑顔のマッチングに無理がありません。自然です、おしゃれです、陽光です。